1956年1月流氷の街網走市に生まれる。
物心のついた頃よりモノづくりに熱中、小中学校時代はひたすらプラモづくりに明け暮れる。プラモづくりに飽きたころ地元の南ヶ丘高校に進学。進学は家業が建築屋であったことから建築科へ進学かと思いきや周りの期待を全く無視し、世界のHONDAに憧れ北見工業大学機械科に進学。
大学卒業後世界のHONDAへの就職かなわず、代りにどういうわけか釧路の太平洋設備(建築の衛生・暖冷房設備工事専業)に入社し建築設備の何たるかをたたき込まれる。
その後三年ほど釧路の霧と末広町を満喫し、建築設備の仕事にも慣れ、仕事も任されるようになった頃に人生の一大転機を迎える。
1981年、網走から家業を手伝ってくれとしつこく帰れコール。悩みに悩んだ末に家業である和晃(当時)建設株式会社に入社、建築屋として第二の人生を歩み始めることに。
ところがいざ建築の仕事を初めてみると悩んだのがウソのように建築にぴったりハマッてすっかり建築屋になってしまう。どうやら生来建築に向いていたのにハタと気付く。
まっすぐ建築科に進んでいればとも思うが、釧路時代に身に付けた設備の知識のお陰で並の建築屋とはひと味違う設計ができるようになる。(人生に無駄はありません。)
以来手掛けた物件数は約300件以上、特に住宅、共同住宅では社外秘のノウハウを駆使し高断熱・高気密・高耐久ではトップクラスの性能を自負する。
また住宅以外にもレストラン、バー等飲食店舗関係も手掛ける。これによって照明とインテリアの何たるかを会得する(光の空間に与える効果は大きい)。
最近は特にシンプルデザインの高性能住宅というばかりではなく、
を企業テーマとして家づくりに取組んでいる。
|
妻、子供4人(一男三女)
建築・飲食店・ホテル鑑賞、神社参拝
赤ワイン
辛い系料理(カプサイシンに期待?)
VW,VOLVO(丈夫で長持ち、安全設計思想に共感)
吉幾三からパヴァロッティと巾広く
|